世界最大のオーパーツ・世界遺産「ナスカの地上絵」の秘密や謎に迫る!

南米ペルーにはユネスコの世界文化遺産が8件ありますが、その1つに広大な大地に描かれたナスカの地上絵があります。

世界最大のオーパーツではないかと呼ばれるナスカの地上絵。

ハチドリやサルなど、動物の絵を写真などで1回は見たことがあると思います。

しかし、このナスカの地上絵はなぜ描かれたのでしょうか。

オーパーツと呼ばれるナスカの地上絵をご紹介します。

ナスカの地上絵はどこにある?場所は?

オーパーツ・ナスカの地上絵

世界遺産のナスカの地上絵は、南米ペルー共和国に存在しています。

ペルーのパンパ=コロラダと呼ばれる盆地にあり、その周辺には中くらいの石や岩のようなものが多く、地面もとても固くできたで場所です。

この場所は雨が極端に少なく、砂漠のような暑さもあるため、気候による浸食なども起こりにくい環境でした。

このような場所に描かれた絵だったため、とても長い期間ナスカの地上絵が残されたと言われています。

オーパーツとは?

オーパーツがある地球

世界最大のオーパーツとも呼ばれるナスカの地上絵ですが、オーパーツとはそもそもどのようなものなのでしょうか。

オーパーツとは考古学上、様々なものがつくられた当時の文明の技術や知見からは作ることが困難であることや、ほぼ不可能なのではないかと考えられるものを指す用語になります。

ナスカの地上絵が世界最大のオーパーツと呼ばれるのも、地上絵が描かれた当時、このような物を描くのは無理に等しいと考えられたからなのかもしれません。

 

ナスカの地上絵を発見した人は誰!?

オーパーツ・ナスカの地上絵

アメリカの考古学者が1939年に発見したと言われるナスカの地上絵ですが、発見の方法はペルーのパンパ=コロラダの近くを飛行していたパイロットの間で出た噂が始まりでした。

その噂を調べ、学会などで発表したのがアメリカの考古学者をしていたポール・コソック博士です。

ナスカの地上絵が知られるようになってからは、ドイツのマリア・ライという女性が多くの地上絵があることを発見し、地上絵の保護や研究をしていました。

 

ナスカの地上絵はいつ描かれた?

オーパーツ・ナスカの地上絵

ナスカの地上絵は、現在から1400年~2200年前にあったナスカ文化時代に描かれたのではないかと言われています。

その理由として、ナスカの地上絵を描くために使用したのではないかと言われる木の棒が残されており、その年代を調べた結果から分かりました。

ナスカの地上絵で有名なのがハチドリやサルなどの動物の絵ですが、この動物の絵だけで約70点以上あると言われており、幾何学模様や図形などの絵も入れると700点以上あるとも言われています。

これまで多くの地上絵が発見されてきていますが、近年になって日本の山形大学の研究チームによって新しい地上絵が発見されています。

 

謎だらけ!ナスカの地上絵が描かれた理由は!?

オーパーツ・ナスカの地上絵

では、ナスカの地上絵はなぜ描かれたのでしょうか。

ナスカの地上絵を描いたのは、ナスカ文化時代のインカの人々が描いたと言われています。

しかし、どのような理由で描かれているかは未だ解明されていません。

解明されていない中でも、なぜ描いたのかを考える有力な理由は数個存在します。そのうちの4つを紹介したいと思います。

 

有力説① 雨乞い

ナスカの地上絵で雨乞いする人

有力説1つ目は雨乞いです。ナスカの地上絵が描かれている場所は、先にも書いたように乾燥した場所。

雨も多くなく、植物もたくさん育つような場所ではありません。

ただ、そのような場所で栄えた文化だから、雨を望んでいたのかもしれませんね。

ナスカの地上絵付近では現在でも続いている行事の1つに雨乞いがあり、1列になって同じ道を歩くというものがあります。

ナスカの地上絵は一筆書きになっており、雨乞いのために描かれたのではないかと言われています。

 

有力説② 権力者の葬儀

ナスカの地上絵で葬儀をする権力者

ナスカの地上絵の理由の中でもかなり有力な説の1つが、この「権力者の葬儀」説です。

なぜこの説が有力なのかというと、ナスカ文化時代には人が亡くなった場合、太陽に帰るという説があったからだそうです。

太陽という空にあるものへ帰ると信じていた当時の人々は、空から見えるよう大きな絵を、太陽に帰る権力者へのメッセージとして様々な絵が描かれたのではないかと言われています。

 

有力説③ 実際に空から見ていた

ナスカの地上絵を見るための熱気球

現在なら飛行機やドローンなど空から地上を観察する方法は多く存在しますが、約1400年前のナスカ文化時代に空から地上絵を見ることはできたのでしょうか。

現在の技術があるから飛行機などが存在していますが、ナスカ文化時代にはそのような技術はありません。

しかし、熱気球などの場合、空から地上絵を確認することは可能だったのかもしれません。

この説が有力だと言われている理由の1つに、ナスカの遺跡などから布が多く発見されているということがあります。

この布を分析した結果、現在の軍事用パラシュート以上の高密度な布であることがわかりました。

パラシュートに使用できるような布と、火を使う文化があれば、気球の原理を思いつく人がいても不思議ではありません。

 

有力説④ 宇宙人が描いた

オーパーツ・ナスカの地上絵を描いた宇宙人

熱気球がなかった場合、ナスカの地上絵は当時の人々が目で見られないため、「作られるはずがないもの(オーパーツ)だった」ということになります。

そのため、ナスカの地上絵は「古代地球にやってきた宇宙人によって描かれた」という説もありますね。

ナスカの地上絵がUFOの発着場、つまりマーキングだったという意見も根強いです。

もし宇宙人が描いたのだったら、それはそれで面白いですよね。

人間ではなく、宇宙人が何らかの理由でこの絵を地球に描いていた…と考えた方が、なんというか神秘性が増します。

 

ナスカの地上絵が描かれた理由や真実はいまだ解明されず!

ナスカの地上絵が描かれた有力な説を4つ紹介しましたが、有力説の②と③が重なって、死者を太陽に送るために気球を使ったのではないかという説もあります。

その他の様々な説もありますが、いまだにはっきりとした理由は解明されていません。

動物を描いたものと幾何学模様や図形などが何を意味しているのか、現在でも多くの研究が行われています。

 

【まとめ】世界最大のオーパーツであり世界遺産のナスカの地上絵はまだ謎に包まれたまま

オーパーツ・ナスカの地上絵

ナスカの地上絵も、現在の様々な発展によって、謎が徐々に解明されるようになってきました。

ナスカの地上絵のような大きな絵も、小学生の算数程度の知識があれば描けることが分かり、徐々に世界最大のオーパーツではなくなってきています。

しかし、ナスカの地上絵が当時なぜ描かれたのか、描かれた絵の理由などまだまだすべての謎が解明されたわけではありません。

謎が残るからこそ、これからも多くの人の興味関心が寄せられ、多くの人の心に残っていくのだと思います。